人と人との繋がりを生み出す、自由な交差点…FJ会
ブログ真賀温泉岡山の湯原温泉は露天風呂の西の横綱なんだそうな。 コメントを表示 (0件) 山塊私は黒瀬という田舎に住んでいる。黒瀬は賀茂台地の南に位置しており、勤務先の広島大学へは一時間ちょっと掛かる。帰りは大抵夜なので、両側から山が迫り小さな川が流れる谷間の道を上らなければならない。夜10時を過ぎると、あまり車も通らず信号もないので、スイスイと山道を飛ばすことが出来る。疲れると途中の空き地で一眠りしたりもする。両側から迫る山に挟まれた谷底で眠るのは実に快適だ。一山越えるとそこには熊野の町が広がる。山は遠くなるが台地にわだかまる山塊は私に何かを語りかける。私はいつも「参りました」と言う。私の大学では多くの学者達が多彩な研究をしているが、この山一つ動かすことは出来ない。自然は偉大である。しみじみそう思う。車は更に進み20分ほどで次の峠にさしかかる。昼なお日の当たらない峠を越えるとやっと賀茂台地が姿を見せる。遠くに点々と灯りが見え山にへばりついて生活する人間がいることを実感する。空が広くなり月が浮かんでいる。今夜は満月らしい。そんな毎日である。 コメントを表示 (0件) 残暑私は終わろうとしている夏が好き。二階から見下ろすと木槿や百日紅が力一杯咲いているが、森の向こうには秋風が迫っている。「夏よ、もう少し続いてくれ、秋よ、しばらく待ってくれ」と願う。遠くの入道雲も心なしか輝きにかげりが見える。小さい頃から毎年去りゆく夏に同じ思いを抱いている。老人になった今も夏はいとおしい。さぁ、庭の草むしりをしよう。私はまだ生きているのだから。 コメントを表示 (0件) もの悲しい人若い頃、文吉おじさんは左官の弟子だった。ある日親方が弟子達に向かって怒鳴った。「おまえらは役立たずだ!飯を食う価値もない。藁でも食っとけ!」文吉おじさんは新米なので食事当番だった。次の昼飯を見た親方と弟子は驚いた。飯の上にひとつまみづつ藁が載せてある。親方のは特に多い。「なんじゃ!これは!」親方は激怒した。文吉はこう言った。「へい、親方は昨日藁を食えと言うたけんど、わしらは食うたことがない。どうやって食うんか、教えて貰おうと思いまして・・・」親方は絶句し、黙って藁を払いのけて食べた。形の上では文吉の勝ちだが、さすがに居づらくなり左官を辞めた。そのあと文吉は芝居小屋に転がり込み役者になった。厳つい顔なので悪役が似合った。彼を雇った一座のオーナーは私の祖父である。昔はこんな生き方をする人が私の周りに幾人もいた。痛快というのではない。根性が座っているわけでもない。愚直というのも違うようだ。ただ何となくもの悲しいのだ。何故なのか、今も分からない。 コメントを表示 (0件) |
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