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幻の温泉 その2
その日は晴天だった。 車はだらだらと坂道を登っている。 岡山県の山の中である。 私は半分眠っているが、平々亭青馬(へいへいていぶるま)君は 辺りに気を配りながら運転している。 彼は落語家である。 だから愛想が良く面白い。運転もうまい。 「白方さん、ありませんよ、温泉」 「う〜〜〜ん、無くても良い。気にするな」 「気にするなと言っても、私たちは温泉に入りに来たんですから」 「君はどうも人生を固定的に考える癖がある。そのことが自分を苦しめる。 改めたほうがいいぞ。着いたところが目的地だったと言うことにすれば 失敗はない」 「は〜〜〜、そうですか」 そうは言うが、彼は私の言うことに納得した気配はない。 しばらく黙って車を走らせた。 私は再びまどろんだようだ。 「あっ!ありました、ありました!」 「おっ、着いたか」 私は目を覚ます。 「ありゃ、違いますねーこりゃ。ちがうちがう、別の温泉だ」 「違ってもいい、ココなんだよ。俺たちが探していた温泉は」 「は〜〜〜ぁ」 「さっき言ったろう、着いたところが目的地だって」 「・・・・・えっ。あ〜そうですね。そうだそうだ。僕たちはココが目的地だったんだ」
噺家だけあって極めて軽い。自説を曲げて後悔することがない。 ○○温泉の看板に沿って右折し、小さな川を渡った。 また○○温泉の看板が現れる。よしよし間違いないな。 だが車は小さな団地の中に入っていく。 「????」 おかしいなと思っているうちに到着してしまった。 団地によくある普通の住宅に「○○温泉」の看板が昼下がりの青空にクッキリと映えている。 その向こうの住宅にも同じ看板が・・・。 向こうの方は(休み)と書いてあったので、手前の住宅の戸を開ける。 まさかココが温泉だとは、その時思わない。 温泉への道順を訊こうと思ったに過ぎない。 ガラガラガラと玄関に入り 「こんにちわ」 と言う。温泉ではこうは言わない。 普通の貫禄十分のおばさんが出てくる。 「あの〜〜」 そこまで言うとおばさんはニッコリして 「いらっしゃい」 と満面の笑み。 「温泉は?」 「はい、どうぞお上がり下さい」 私は落語家と顔を見合わした。 (おい、どうもココが温泉らしいぞ) (そりゃないでしょう、ココは普通の家ですよ) (だっていらっしゃいと言ったぞ) (そうですねー、でもまさか温泉じゃないでしょう) 我々の目は、瞬時にそんな会話を交わした。 「いくらですか?」 「700円です」 高い。だが値段を言うのだから温泉なんだろう。 靴を脱いで普通の下駄箱に靴を入れた。 「はい、こちらです」 おばさんは普通の家の中を案内する。 玄関をちょいと左に行くと、そこには普通の家の普通のお風呂がある。 当たり前だ。我が家にもある。 我が家の脱衣場程度の脱衣場で服を脱ぎ、湯殿に入る。 そこには無理をすれば3人くらいは入れそうな湯船があった。 矩形であったから3人は入れるかどうか自信はない。 つまり我が家の湯船よりは少し大きいのだ。 要はそれだけで、他には何の変哲もない。 麗々しく湯の効能などを掲げた看板もない。 体を洗う。二人は無言である。 沈黙に絶えかねた落語家が言う。 「こりゃ、何なんですかねー」 「う〜〜〜〜む」 何にでも理屈をくっつける私も言葉がない。 「700円は高い」 それだけ言うのがやっとだった。 湯の肌ざわりがいかにも温泉らしければ、コメントのしようもあるが それもない。 普通の風呂に入り、体を洗い、普通に出た。 脱衣場に「カラオケルーム」の表示があり矢印があった。 落語家は 「ちょっと見てきます」 と探訪に行ったが直ぐ帰ってきた。 「ありました、8畳くらいの座敷にカラオケセットが・・・。仏壇もあります」 我々は言葉を無くし、 「ありがとうございます」 とお礼を言って○○温泉をあとにした。 おばさんが満面の笑みで送ってくれたのは言うまでもない。
随分時が経ってから、我々はあの温泉の思い出を語り始めた。 「あの隣の温泉へ行ってみたいですねー」 平々亭青馬がいう。 「うん、そうだなー。同じなんだろうか、少しはましなんだろうか」 「ところで、何という温泉でしたっけ?」 ここに至って私は温泉の名を覚えていないことに気が付いた。 「あれ?君は覚えてないの?」 と私。 「いいえ、全然」 落語家は胸を張る。 「頼りにならんなー」 と私 「白方さんに言われたくありませんよ」 落語家はにべもない。
読者諸君、ご存じありませんか? 岡山空港からそう遠くはないと思うのですが・・・。
投稿日 : 2011年11月6日 (日)
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