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取り残される日本

ASEAN諸国は大学歯学部のカリキュラムを調整し、どの国の大学を卒業しても、希望の国で開業できるようなシステムを作ろうとしている。日本には声がかからなかった。先日マレーシアへ行き仲間入りを申し出て、快く受け入れられた。ASEANの動きに気がつかなかったら・・・と思うと冷や汗ものである。
先週米国ニューオリンズで世界中の大学が集まり、産学連携の大会が開かれた。各国がPR用のブースを出したが日本は年々小さくなっている。変わって台頭してきたのが中国。ブース面積が端的にそれを現している。
日本は取り残されつつある。

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投稿日 : 2010年3月26日 (金)

中国人とベトナム人

中国から若い娘さん5人が日本へ働きに来た。田舎の工場で小さな射出成型器の操作をしていたが土・日は暇をもてあます。親切な工場長が一人に一坪の畑を貸してやり「何でも植えなさい」と言った。5人はカボチャを植えたが収穫期には蔓が伸び放題となり、どのカボチャがどの畑から伸びた蔓のものかゴチャゴチャになった。大問題である。5人は日曜日に畑に集まった。そして5人が見つめる中、一人づつ丁寧に自分の畑から伸びた蔓を辿り自分のカボチャを特定していった。半日かけてカボチャの所属が決まると娘たちは満足しそれぞれのカボチャを抱いて宿舎に帰った。

翌年、ベトナム人の娘さんが来てカボチャを植え同じ仕儀と相成った。グチャグチャの畑を前にして5人はどうするのか?工場長は興味津々で見守った。・・・・が、彼女達は一つ一つのカボチャが誰のものかには全く関心を示さず、さっさと収穫し、宿舎に持ち帰って料理し、五等分して仲良く食べたのである。

さて・・・・あなたならどうする?

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投稿日 : 2010年3月13日 (土)

円乗寺

上京のついでに白山町の寺へ行き八百屋お七の墓を見た。寺小姓生田庄之助に恋し、会いたいがため放火未遂事件を起こし鈴ヶ森の刑場で火刑となった。1683年のことである。相手の男も共に処刑されたという説と生き延びて名僧になったという説とがある。墓は初代岩井半四郎が建てたらしい。小さな寺の小さな墓であった。

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投稿日 : 2010年2月13日 (土)

所変われば・・・

青森出身の青年に広島出身の若い女が言った。
「節分ねー豆を買わなきゃ」
「豆?なにをするんだ」
「豆まきに決まってるでしょ!」
「節分には落花生をまくんだよ。青森では常識だぜ」
「えっ?」
東北ではピーナッツをまくらしいと知ったのはその後数人に聞いてからのこと。北陸もそうらしい。

だが・・・・・
この話ほんまでしょうか?

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投稿日 : 2010年2月7日 (日)

おじさんが小学一年生に尋ねた。
「ぼうや、大きくなったら何になりたいの?」
「正社員!」
「・・・・」

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投稿日 : 2010年2月7日 (日)

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