FJ会|ホームブログ > 2011年1月

ブログ

 柿が色づく頃

僕が20歳の時というと、今から48年前のことになる。
僕は6000円を握りしめ、旅に出た。東京から長野、大町を経て、糸魚川から京都、広島、そして故郷の松山へ至る旅である。ホテルに泊まる金はないので、当然野宿である。
その時の話をしよう。
大町駅の木のベンチに寝袋を拡げた僕は、目がさえて眠られなかった。秋も深まり駅舎には寒気が居座っている。ふと見ると駅前の広場に、屋台の赤提灯が揺れている。ふらふらと起き出し、丸い木の腰掛けに座り、おでんと酒を注文した。僕の他には中年の男が二人、反対側で話し込んでいた。
「寒いですねー」
屋台のおやじは、おでんの皿を差し出す時そう言った。その声が若々しいので、ふと目を上げると意外に若い顔がそこにあった。その瞬間、僕はこの若者が何かをかたくなに守っていることを読み取った。昔はこういう若者が沢山いた。何故か今はいない。
「ここで何してるの」
「小説を書いてます」
この若者も、瞬時に私の質問の意味を理解したようだった。
「屋台で稼いでいます」とは言わなかった。
駅舎に戻りぐっすり眠った僕は、微かな物音で目が覚めた。屋台をたたんで、彼が帰っていく所だった。引き手にぶら下げたバケツが、ガラン、ガランと音を立てていた。その時僕は彼の足が、極端に内側に曲がっていることに気が付いた。不自由な足のせいで、屋台は前後に大きく揺れながら、朝霧の中を遠ざかっていった。
その日は快晴だった。汽車を待つ間、私は北へ向かってぶらぶらと歩いてみた。柿の色が青空に映え、近くの小学校からは歌声が聞こえてきた。北アルプスは既に雪をかぶり、想像を超える高さにクッキリと聳えていた。
彼は私より少し年上だったから、もう70歳だろう。毎年、柿が色づく頃になると、彼のことを思い出す。

コメントを表示 (0件)
投稿日 : 2011年1月15日 (土)

真賀温泉

岡山の湯原温泉は露天風呂の西の横綱なんだそうな。
その温泉郷のはずれに真賀温泉はあるが、露天風呂ではない。
ここは「安い」「汚い」「無愛想」の三拍子揃った名湯である。
入湯料150円。安い。
自然石作りの浴室はは薄暗くてよく見えず、狭い。待合いも
脱衣場もあまり掃除をしている様には見えない。
つまり「汚い」。合格。
料金を払おうとしたが、おばあさんがこちらを向かない。
「いくらですか?」
と訊いたら
「150円」
とだけ言って、目はテレビに釘付けだ。
無愛想であるから合格。
子供ならおぼれそうな、深い浴槽の下から温泉は自噴している。掛け流しだ。
浴槽の途中から張り出している石に腰掛け、誰も居ないので仏頂面をして、肩までつかる。
普段の生活では他人の目があるから、仏頂面はなかなかできない。今日は誰憚ることもなく、不機嫌な顔ができる。

真昼である。外は日本晴れだが、薄暗い浴室には温泉の流れ出る音だけが聞こえる。
「俺は何でここに来たのだろう」
と考えるが理由を思い出せない。
近頃こういう事が良くある。気をつけないといけない。
これが進むと「ボケ」と言われる様になるはずだ。
もう言われているのかもしれない。
一生懸命考えている内に眠くなった。
いい気持ちだ。
ウトウトしていたら「ガバッ!」と湯を飲んでしまい、一気に目が覚めた。危うくおぼれる所だった。
湯が鼻にまで入り、私は激しく咳き込んだ。死ぬかと思った。
誰も居なくて良かった。見られたら恥ずかしい。
しかし、誰も居なかったので、あのまま呼吸困難で死んでしまった可能性もある。
まーどちらでもいい。こうして生きているのだから。
適当に体を洗って30分ほどで真賀温泉を出た。
車で一路、岡山市に向かって南下。
この間、番台のおばーさんに
「いくらですか」
と訊いた以外は、誰とも話をしなかった。話をしたいとも思わない。あの温泉へ行った理由を考えるのも止めたが、その後の生活に特段の支障はない。
私の旅は大体こんなモノである。

コメントを表示 (0件)
投稿日 : 2011年1月03日 (月)

最近のブログ

カテゴリ別アーカイブ