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井伊玄太郎

その男は禿げあがっていたが両耳のあたりにだけ未練がましくモジャモジャと頭髪がわだかまっていた。教壇に上がると男は右のポケットからチョークを取り出しこう言った。
「近頃の出版社はなっとらん、まだ書き始めてもいない本の目 次を出せと 言うんだ。怒ってやったがね。もーぉ、まった   く!」
言いながら黒板に何かを書いた。へたくそで読めない。
「最近八丈島へ行ってるんだが・・・」
どうも講義が始まったらしい。
文化人類学と私の出会いはかくの如きものであった。
男の名は井伊玄太郎。
早稲田大学の名物教授であった。他に中島正信、海江田進、山之内義雄、飯島衛など錚々たる教授陣であったが当時の私には何も分からなかった。
(実のところ今も分からない。)
・・・・で、このいい加減な先生を私たちは「いいかげんたろう」と呼んだ。
遅れてきて30分しゃべって帰ることもあり、二時間を過ぎても止めないこともあった。今日の講義と前回の講義に連続性はなく、いくつもの事例をごちゃごちゃに紹介したりする。彼の著書もまたかくのごとしであり、出版社が
「先ず目次を・・・」
と言った気持を共有することが出来る。だが一年を終わった時、いつの間に
やら社会学の壮大な体系が見えるようになっているので
「ふ〜〜〜ん、なるほど名教授」
と納得した次第。だぶだぶのズボンに黒縁の眼鏡、井伊先生は私が見た最初の大学教授である。
あれから茫々50年、あんなに強烈な個性を放つ先生に巡り会うことはない。
広島大学の中で毎日多くの教授に会っている私は何となく寂しい。
時代が変わってしまったのであろうか・・・

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投稿日 : 2009年8月22日 (土)

頭突き

私は頭突きで負けたことがない。畳に四つんばいになり頭をくっつけ、よーいドンで押し合う。最近の子供はやらないかもしれないが私が子供のころは良くやった。
畳の摩擦と体重の差が勝敗を分ける。畳の摩擦は両者同じだから体重差がモノを言う・・・・・はずである。だが私はもう一つの要素を発見していた。
ガマン、これが私の連勝の原因である。やってみれば分かるが頭頂がむちゃくちゃ痛い。
ねじり込むように押してくる奴もいるので、痛さは尋常ではない。私はこらえてしゃにむに押す。ガマン、我慢、がまんあるのみだ。ある点を超えると相手はずるずると下がり始める。追撃の手をゆるめずダダーッと押す。相手はそこで大抵ひっくりかえる。頭が痛いので勝利の快感も中くらいだがそれでも勝ちは
勝ち。悦に入ったものだ。
閑話休題。実のところ私の能力は高校の頃をピークに下降曲線を描いている。
それに気付いたのは受験勉強の最中だった。理解力・記憶力が衰え始めたのを自覚してしまった。あわててあちこちの本を読んでみると、物理学などの能力は25歳くらいまで伸びるが、その他の部門では20歳を過ぎる頃から衰え始めると書いてある。私は焦った。当時18歳だから「早めに衰え始めた」と思った。
なぜか?あの頭突きだ。だが時既に遅し。伸びやかな才能が早めに限界を迎えた私はひたすら「努力」の人に変身していった。努力はしんどい。
しんどい。しんどい。・・・だがその先にポッカリ新しい世界が開けることを知ったのも、詰まるところ「頭突き」のおかげと言えないこともない。
私が連破した友人たちは今どうしているだろう。
昔の友を思い出してしまった。

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投稿日 : 2009年8月22日 (土)

総選挙

公示さる。政権交代は必至。片山・細川の時とは違う。本格的な戦後政治の大転換になるか?可能性は今までで最も高い。

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投稿日 : 2009年8月18日 (火)

夏の到来

やっと梅雨明け。裏の雑木林でカブトムシを探そう。保育園の子供たちの喜ぶ顔が見たい。

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投稿日 : 2009年8月4日 (火)

散歩の途中キキョウの花を7本見つけた。梅雨も終わらないのに、もう秋。

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投稿日 : 2009年8月1日 (土)

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