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傍観
久しぶりに韓国へ行った。20年ぶりくらいだろう。 ダウンタウンは東京の日本橋のようだ。広島の紙屋町のようだと言ってもいい。文字がハングルであることを除けば日本の町並みによく似ている。 昔は韓国の空港にはキムチの臭いがあふれていたが今はない。聞けば若者のキムチ離れがあるそうだ。 そこでこう思った。 大昔、世界の人々は富士山のような山の裾野にバラバラに住んでいた。エジプト人は中国を知らず、ジャワの人は日本の大和朝廷を知らなかった。そして彼らはそれぞれに頂に向かって歩を進め初めた。最初は遠く離れているので自分の他に誰が登り始めたのか分からなかったが、登るにつれて左右の登山者が見えてくる。登り方も装備も違うので戸惑うが、次第にお互いのよいところを真似するようになる。負けるものかという気にもなる。頂上が近づくにつれて、お互いによいと思うところを取り入れるので登山者全員が似てくる。個性が無くなると言ってもよい。その結果、頂上に立った時はみんな同じ服装と装備になっているだろう。同じ貨幣を使い、皮膚の色だって同じになっているかもしれない。 今年の初めニューヨークへ行ったが、私には異国に来た違和感がなかった。30数年前に見た輝けるアメリカはなかった。人は国ごとの個性を捨てながら発展している。いずれ世界は単一の経済圏になるだろうが、その是非を論じるつもりはない。私の意見を無視して歴史は進む。 私にできるのは「傍観」のみである。
投稿日 : 2009年12月19日 (土)
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