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坂の上の思い出
東京本郷西の住宅街の中に「炭団(たどん)坂」という妙な名前の急坂が今もある。それを登り切ったところに常磐舎はあった。愛媛県から上京し、勉強しようとする藩の子弟の為、篤志家の浄財により明治の初めに建設された賄い付き下宿である。戦後東京都北多摩郡久留米市に移転し名前も「常磐学舎」と改められたが、その歴史は今も続いており、昭和30年代には私も寮生の一人であった。 昔の常磐舎の跡地は現在日立の厚生施設になっており、数年前、世話をしてくれる人がいて寮の同窓会がここで開かれた。 その時先輩から一枚の写真を見せられた。木造二階建ての屋根の上に若者が鈴なりになっている。 「これが正岡子規だ。となりが漱石だ」 もう一人の先輩が続ける。 「後の舎監は秋山好古だぞ」 今の舎監は立教大学教授で原子物理学の大家。運の悪い事に名前が私と同じ白方。どうしても比較されて肩身が狭い。後輩にも錚々たる人物が居並び我々同期はくすんでいた。
大河ドラマ「坂の上の雲」を見ていて昔を思い出した。誇るべきものは何も残せなかったが、あの常磐学舎に私の青春はあった。あのころ坂の上には暗雲が立ちこめ何も見えず、思い出して今確かに言えることは、テレビに出てくる秋山兄弟の住まいよりも私が住んでいた部屋の方が遙かにオンボロだったと言うことだけである。
投稿日 : 2009年12月6日 (日)
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